猿滑  
黒猫と主
無言の縁

Crape myrtle —
a black cat and her master,
tied by silent fate.

たぶん、センベイを届けてくれた誰かに、お礼を言うべきなのだろう。大山かもしれないし、丘の上の狐たちかもしれない。それとも――もしかしたら、彼女自身が私を選んだのかもしれない。

「彼女」——いや、本当は彼か彼女かも分からない。初めて現れたのは四月の半ば。蔵の裏の百日紅は、私のせっかちな剪定でまだ枝ばかりだった。私は一人でそこに座り、せんべいをかじっていた。ふと、視線を感じた。

枝の下に、黒い影。尻尾を体に巻きつけ、私の一口一口をじっと見つめている。

私はせんべいを割り、一片を砂利の上に放った。影が素早く飛び出し、それをくわえて引き下がり、目を離さぬまま、静かに食べた。

そんなやり取りが数日続いた。夜明けのコーヒー、夕暮れのビール。いつも、せんべいを一枚余分に。 やがて、私たちは驚かなくなった。彼女は鳴かず、喉を鳴らすこともない。ただ、夕陽の頃に私のすねに触れる毛の感触だけが、彼女の信頼——いや、容認——を教えてくれた。

いかせんべいが好物だと知ったのは、ある夜のことだった。炭火のそばで焼き鳥を食べていると、彼女が爪で串を奪い取った。その跡の小さな傷は、今も残っている。それからは、彼女にも皿を一枚用意した。私が食べる前に、まず彼女の分を。野良猫から教わった、謙虚さの礼儀。

高浜での最初の孤独な数ヶ月、せんべいは私の秘密の相棒だった。やがてその存在が、そして、私をみちかの家の扉へと導いてくれたかけ橋でもある。 ——「この子に、餌をあげてもらえませんか。」 自分ひとりの時間よりも愛しく思える“客人”のために、私は初めて、誰かの助けを求めた。

六週間のあいだ町を離れ、戻ってきたとき、みちかが少し伏し目がちに言った。 「もう、来なくなりました。」 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にぽっかりと風が吹き抜けたようだった。 けれど、その頃には—— みちかや、他の女将さんたちが、私を包み込むように支えてくれていた。 ——いや、互いに支え合っていたのかもしれない。

いまでも私は、せんべいの分を最初に器によそう。百日紅の下で、彼女が見ているかもしれないから。 影というものは、いつまでも寄り添ってくれる。

センベイの置き手紙

魚を目当てにやって来た。
でも、あなたのそばが心地よくて、居ついた。
あなたがそれを分かち合えるようになったとき、私はそっと去った。
——それでも、真夜中には、いまもあなたの串を舐めに行く。

— センベイ

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