聖羽庵の友

羽ある庵の友

始まりは、暑さだった。

詩的な暑さではない。
正午を迎える前にシャツが肌に張りつき、
むき出しの肩をじりじりと焼き、
一つひとつの呼吸に意志が要る、あの暑さ。

沈黙が神聖なものになり、
汗さえも捧げもののように感じられる、そんな暑さだ。

セバスチャンは、青葉庵の庭仕事を手伝いに来た。
プランなしで。
あるのは、確かな手と強い背中、
そして「ここにいる」ことへの静かな覚悟だけ。

彼はよく旅をしてきた。

ニュージーランドを歩き、
クイーンズランドでバナナを育て、
ベトナムで数年暮らし、
関西では、日本人のゆるやかな仲間たちと田植えをした。
日よけの天幕の下や田んぼで出会い、
泥と悪戯心と、長い一日で結ばれた仲間たちだ。

彼らは彼を「セイバちゃん」と呼んだ。
からかいと親しみが混ざった名前。
生まれながらではなく、 働く中で自然と与えられた名前だった。

七月の陽の下、私たちは並んで働いた。
彼は脚立に立ち、楓や松を剪定する。
私は上半身裸で台所に立ち、 季節に焼けた腕で料理をした。

休憩は、ゆっくりと。
杜仲茶と煙草、
急ぐ必要のない話。

師弟関係でもなく、
主人と客でもない。

ただ、同じ土に立つ男同士。
肩を並べ、
言葉を沈黙と交換し、
沈黙を、もう少し深い何かと交換する。

ある夜、蔵の前で星を見上げながら肉を焼いた。

彼は、かつてパン職人の見習いをしていたと話した。
皮のぱりっとしたプレッツェル、正直な味のパン、きちんと作られたジェラート。
見せるためではなく、
分かち合うためのもの。

そして、ふとした調子で、こう言った。

「ときどき思うんだ……
ここで、何かをつくれるかもしれないって。
パンを焼いて、
食べものを育てて、
もしかしたら、ここに残るとか。」

私は、しばらく彼を見つめた。

そして、笑った。

「じゃあ、セイバ庵だね。」

それだけだった。
名前ひとつ。
たった一瞬。

けれど、その間に何かが渡された。
種のようなもの、
誘いのようなもの。

私は、それを彼に委ねた。

彼は、まだ決めていない。
行くかもしれないし、
留まるかもしれない。

それは、私の手で形づくるものではない。

けれど、あの夜に灯った火が
どんな火なのかは、わかっている。
私は見てきた。

季節が整ったとき、それが何になるのかも。

そして、寝支度をする直前、たしかに私は見たのだ。

剪定された楓の影から、 ほとんど姿を見せなくなった、昔の猫 ー 煎餅が そっと現れるのを。

彼は、少しの間、そこに座った。

Then, with one long claw,

そして、長い一本の爪で、 土の上に三つの文字を刻んだ。

聖 羽 庵

セイバ庵。

そして、消えた。

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